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私の天秤の上、全部いっしょくた

「こたにな々 日記帳」 文から何も気付かなくていい、それだけが私の願い。

2005年へ簡易リンク:「風の色は緑色」

 

スマホの人は「カテゴリ」検索が出来ない仕様で

一番最初まで遡らなくちゃいけないので一時的に簡易リンクを※

 

 

◆2005年17才の夏休み+2016年後日追記

 ◆2005年夏休み後の進路変更+2016年後日追記


2013年5年ぶりにお会い出来た時の日記、執筆中、後日公開。

 

 

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(中村さんにはお礼を言いたいことばかり)

(何年もかけないでリアルタイムに直接言えればいいんだけど!)

 

(そしてとても大好きですとも!)

 

フォントワークスさんの書体見本帳に載ってた!

 

最近知ったのですが、2014年(!)のフォントワークスさんの

筑紫書体使用見本帳(「筑紫書体、ファミリーへの展開 2014.11」)に

戸田ツトム先生の作品紹介ページでですが、

私の本を小さく載せて頂いていました!

 

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小さいですが、

杉浦康平先生や寄藤文平氏・有山達也氏・祖父江慎氏(コズフィッシュ)・

鈴木一誌氏・戸田ツトム先生のそうそうたる作品の中に載っけて頂けたので、

ひー!!!って思いながら、嬉しかったです。

 

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正確には、今年の春発売された「紙手水本Ⅱ」のプロトタイプで作られた

「紙手水本」の中での私の作品紹介ページが載りました。

(私の本の作品名と名前も入れて頂けて感謝です!)

 

ちなみに販売されている「紙手水本Ⅱ」の私のページは

上記のような概要文はなく、写真も複数カットから1枚ものに変更されてあり、

プロトタイプのこの写真は少し貴重です。

書いてある自分の概要文は私が詩として書いたので、

またどこかに載せます。

 

 

発売中の『紙手水本 Ⅱ』に掲載されています。

 

 

新宿書房さんより3/1に発売された『紙手水本 Ⅱ』に、

大学時代に作った私の白い本3部作*も掲載されています。

 

*掲載作品「 音をつむげないひとの為の、図形楽譜」「コンクリート・ポエトリリック・スペース 書く女、ひとりひとりが生き残る者である。」「私達のポエトリ・リーディング」の3作。

 

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私の頁は概要文はなく、写真のみで。

作品本体の詩や言葉をそのまま活かしてもらった作りになっています。

作品紹介に4P掲載です。

(+ 本の前後に2Pずつ作品写真使われています。)

 

 

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 -------------

 

2014年に私も参加した東京「plateau」展と、

2015年大阪「plateau」展での

展示作品を中心に掲載された図録でもあります。

(私が当時出展した「アンドロメダのあと半年」は掲載されていません。)

 

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*2014年 東京・南青山スパイラルホール「plateau」展の様子

 

 

良ければ、ぜひお手に取ってご覧下さい。

よろしくお願いします!

 

  

www.amazon.co.jp

 

「 紙手水本 Ⅱ」

発行=神戸芸術工科大学
監修=戸田ツトム+赤崎正一
発売=新宿書房
定価=1800円+税
ISBN 978-4-88008-460-2 C0070

 

 

◆詳細◆

www.kobe-du.ac.jp

 

 

 

「大塚幸代さんがもういないのを知った日」

 

 

土に沿って風に、陽が頬を射した4月の日曜日の午後、

大塚さんがいなくなったのを私は、インターネットで知りました。

 

 

「大塚さんがもういないのを知った日」

--

 

◆4月が数日も過ぎて、胃を痛めた去年の春もどこへ、

また同じような春が来てしまったって思って、後悔して(謝った。)

 

夢で父親に「お前はおかしい」と言われ続け、

「違う!」って泣きながら言った私は、目覚めると

やっぱ泣いていた。

夢だと分かったままで、まだずっと泣いていた。

 

 --

2015年4月5日

 

最悪な気持ちでも、起きればツイッターを開く。

最悪な気持ちだからこそ、たぶんツイッターを。

 

大塚幸代さんのこと』

 

っていう誰かが書いたタイトルのブログURLが

タイムラインに回ってきていて、

なぜか瞬時に私は、

 

「あ。大塚さんは死んでしまった」と思った。

 

 -

こんなとき息が止まる、嫌だった、

URLをタップした。

雰囲気は裏切らなかった。

まだ実感も、事実かも分からないまま、

私は誰かが「大塚さんの記憶と人生を締めた」場面を見てしまった。

 -

 

◆大塚さんが執筆していた「デイリーポータルZ」には

2日前に正式な訃報記事が出ていた。

http://dpz.cocolog-nifty.com/q/2015/04/post-5866.html

(その2日のタイムラグは最近追えていなかった距離だと私は思った。)

 

生前関係していた人たちのツイートを遡ると、

もっと数日前から皆

意味深なことを言い、

 

泣いていた。

 

死因は公表されていない。

事情を知っているかもしれない人たちは、口々に、

「うっかり」死んでしまった、と言っていた。

本人も死んだ事に気付いていないかもしれないくらい、「うっかり」って。

 

「うっかり死んじゃわないでください!大塚さん!!!」

  

 

途端に悲しくなってきて、理由もなく涙が止まらなかった。

もう会えないし、もう文章が発表される事、

長年悩まれ続けたり、悔しがったり、可愛いものを愛でたり、

新譜をチェックしたり、もう止まってしまった。

もう言ってくれない、もう言葉を残してもらえない。

この世に居ないというのは、人が死ぬというのは、

どうしてこんなにどうしようもなくて。

 

 

「なんで泣いてるの」と家人に聞かれたけど、

あまりにも悲しくて口に出したらもう終わりで、言えなかった。

 

 

◆私がライター「大塚幸代」の事を知ったのは、

フリッパーズ・ギターのファンジンでも、クイックジャパンでも、

デイリーポータルZ」でもなくて、(もう10年以上も前なんだ)

2003年~2006年頃、インディーズの一部で密かに盛り上がりを見せていた

ネオ渋谷系」という、今となっては本当にあったのか無かったのか

分からないような小さなムーブメントの中だった。

ネオ渋谷系 - Wikipedia

 

-------

思春期を迎えたその時、フリッパーズ・ギターなんて当然のようにいなくて、

20世紀の影ばっかり追いかけていた私には、

複数のインディーズレーベルから、こんなに同時多発的に

渋谷系」の形を持ったアーティストが現れたのが嬉しくて、

一瞬の出来事だったけど、リアルタイムで追っかけれたお祭りみたいな時間だった。 

 

そんな中で大塚さんを、リアルタイム渋谷系のサブカル重要人物である

ことも知らずに、ネオ渋谷系の中心人物「tetrapletrap川島蹴太の、

彼の活動の中で知った。

 

2人が共作した「ベイビー・ポータブル・ロック」似の曲とか、

それを作るまでに至った2人の会話文とか、

あの時、この界隈の人たちの行動や活動は繋がってて、

mixiネットラジオが流行っていた、

アーティスト同士のやり取りが可視化されてきていた時代だった。

ファンとしてはそれを追っかけるのが楽しくって、

そうすると、よく大塚さんの名前に当たることが多かった。

 

 

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◆もしかしたら、そんなことなかったかもしれないけれど、

数回でもどうしても忘れられなかった。

 

大塚さんの日記にたどり着く。

 

私は中学生活だろうが、高校生活だろうが、大学生活だろうが

いつも上手くいっていなくて、

 

大塚さんの日記を、詩を、数年分、夜を徹して、

来る夜も、来る夜も読んでは

消えない言葉を、入ってしまった言葉を、ノートに沢山書き出した。

 

-

大塚さんの日記は

箇条書きのように、とりとめなく、その日あった誰かの動作とか描写とか。

思ったこととか、好きなアイドルグループのこととかが、

短くただ数行で書かれているのに、

いつもその数行の中にキラーフレーズがあって、忘れられなくて、

誰かが日々の中で生きている呼吸を感じた。

 

 

◆私の目には大塚さんはいつも悩んで見えた。

私が知った30代も、わずかな40代も。

自分の女性としてのコンプレックスや、愛される事、

御両親との距離感や、物書きとしての苦悩。

 

自身をカテゴリに振り切る事や言い切る事も許さず、

ただ一人なんとしてでも生きていらっしゃった印象がある。

 

 

いつかのブログで、自分の文章の価値の話をされていた時、

私は誰にも見えないだろう山上の田舎の部屋の片隅で、

「ここにいます!」

「あなたに人生を支えられた、一生忘れないだろう言葉を持って

 人生を生きていく女」が「ここにいます!!!」

ってどうしても手を挙げて伝えたかった。

 

 -

 

◆その後、大阪でのエイプリルズのライヴでニアミスしたり、

「グーグーは猫である」の映画エキストラに少し出ているのを

ブログで知って、一人で見に行ったけど。結局分かんなくて。

エンドロールの小さな名前を見て舞い上がったりして、

私は大人になった。

 

 

◆2012年、17才の夜から7年が経った夜。

私は友人を介して「間取り図ナイト」というイベントで大塚さんを前に震えた。

 

大塚さんは黒目がちで。

「話し声が歌声と同じですね」って思わず言ってしまった。

隣に座ってくれて色んな事を話した。

 

ネオ渋谷の事とか、小沢のツアーの事とか、

私が大学で作った本も読んでくださった。

 

私、もう精一杯の言葉で、大塚さんの文章を読んできた事を伝えた。

馬鹿みたいなテンションだったかもしれない。

 

帰り際、もう一回ちゃんと言わなくちゃと思って

握手してもらった時に「書くのやめないでください!」って私は言った。

(気軽に言ったわけじゃなかったけど、誠心誠意言えば言うほど、

この言葉のフレーズの重みに気付く歳に私は今なった)

 

-

数日後、いつも見てたブログに私の名のイニシャルと、

別れ際言った言葉を書いてくれていて、

「人生ってなんて!」って実感した。

http://blog.hibi.her.jp/?day=20120621

(『「書くの辞めないでくださいね!?」って言われちゃった。どうしよう。』

って書いてあった)

 

 

◆その次の2013年、大塚さんの電子書籍出版記念イベントへ会いに行った。

あの時の者です、って、

伝えたい事を再度思いっきり伝えた。

大塚さんは照れながら「ほんとですか!?」って驚いていた。

「ほんとです!!」って私は念を押した。

 

イベントは大塚さんのひとつの集大成で、酒樽があって、大勢の人が居て

和やかで明るかった。

ニアミスでちゃんと帰りの挨拶が出来ずに、側を通ったのを

少し心残りにして、

そのまま大塚さんにお会い出来たのは最後になりました。

 

--

 

◆2015年。

私は「偲ぶ会」に行くかギリギリまで悩んだけれど、結局行かなかった。

きっと、近しい著名な人たちが集まるだろう場に怖じ気づいた。

ツイッターで同じようなファンの方が、

「行かなきゃいけない」って気持ちに従って、

恐る恐るでも、すぐ後にする事になっても向かったのを見て、「正しい」と感じた。

 

 

「私、行かなかった」と思った。

 

 

-

 

大塚さん、私最後のお別れも言いに行かない

こんなファンですが、

あなたの文章が、あなたの事が大好きでした。

大好きです、大塚さん。

私の人生にライターとして、一人の女性として、

音源を出したアーティストとして、

足跡を残してくださったこと、感謝しています。

大好きです、大塚さん。

大好きです。

ありがとうございました。

 

また会える日が来るのを、

 

感傷が大塚さんの文章に寄り添うのを越えて、

私が年齢を重ねて大人に、女に、生きていったら、

 

いつかまた会ってください。

 

大塚さん。

 

 

こたにな々 

 

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また春が来ました。2016.03.31

portal.nifty.com

 

「魔の名付く女に生まれて」 2013.08.07 

 

 

-私は脱ぎっぷりの良い女が好きだ。

ある種の「正しさ」さえ感じる

 

自分が堂々と脱げる体をしていない事も含め、

脱ぎっぷりの良い女が大好きだ。

 

 大学生の時に私は、1960年代からお芝居や映画で活躍されてる

「緑魔子」という女優さんの事を大好きになった。

 

-

◆時は2013年!

近年は数年に1度ドラマか映画に稀に出演されるような小活動の中。

なんと13年ぶりに舞台に立たれるという劇に

ラッキーの縁があって私も観に行ける事になった。

(なんだ!この人生はなんだ!)

まさか私の人生で動いている魔子様を観れる日が来るなんて。

 

-

-

「渋谷系」というジャンルの音楽が好きな私は

その音楽の元ネタを探る人なら皆辿り着くだろう(たぶん)

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1990年代東京のピチカート・ファイヴ

 

アンナ・カリーナやツイギーみたいなアイコン的女性や

ゴダールビリー・ワイルダーをはじめとしたレトロ映画や

マリー・クワントのミニスカート・ワンピースに、

ヴィダル・サスーンの世にも美しいボブカットに、イームズの椅子とか

笑っちゃうくらいベタにベタな1960年代カルチャーがやっぱり大好きで。

 

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◆だけどそういう写真集や資料をスクラップしている時、

そんな外国文化に憧れ流行り、独自に消化し「なりきる」。

1960年代の日本の混沌としたアングラな空気感の方にこそ

何か私を突き刺す匂いがあり、

リアルで不格好でかっこいいなと鼻血を出す勢いで猛烈に憧れてしまい。

 

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https://jooy.jp/5446

 

やっかいな事に

わざわざ神戸から大阪のサロンまで髪を切りに行っては

直毛に生える髪を綺麗なボブカットにする為パーマをあて。

茶色くさい地毛を黒染めしては付けまつげ2枚重ねで、

独特の匂いを放つ半ばブティックの古着屋さんで

これは何模様ですか?っていう(正解=幾何学模様)ワンピースを買い漁った。

 

 

◆気持ちだけは四畳半に住んでいて(住んでない)

時はすでに21世紀だけど、私は20世紀をこれでもか!と

引きづり倒して生きていたのでこの頃よく、

青春を思い出したと思われる60才以上のおじいさん達の

目的の分からないガールハントに遭遇した。

 

 -

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鈴木いづみ - Wikipedia

 その日々の私のミューズが今は亡き、

元ピンク女優で作家の鈴木いづみであり、

 

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まさか会える、緑魔子だった。

 

あえて、この2人の共通点を挙げるなら、

2人とも超脱ぎっぷりが良かった。

そして、どこか2人とも少しトんだキャラクターだった。

 

私の目には、惜しむ事なく

男には出来ない女に生まれた武器と感性をフルに使い

生き抜く姿は、かっこ良い以外の何者でもなかった。

(同じ理由で私は藤子・F・不二雄の佐倉魔美ちゃんも大好き!)

 

 

◆魔子様の映画での役所は、舌ったらずに話す少しお馬鹿さんだったり

田舎から出て来た女の子だったり、騙されては脱がされる役が多く。

でも健気で、いつも負けず。

状況によっては開き直ったり環境に順応して強い。

セリフを言う声の張り上げ方もハッとさせられるものがあって、

時にはトリップしてただひたすら踊り狂ってる場面が延々続いたり、

大きい瞳と共に時間も止まるミステリアスな表情をしたり。

混沌とした不思議な時代のスクリーンにぴったり映える

唯一無二の存在を放つ女優さんだと思う。

そして、美しい。

 -

 

◆今回、劇団の座長でもある女優の渡辺えりさんが魔子さんの大ファンで。

自分の劇団の舞台に出てくれないか。とアプローチして

舞台から離れていた魔子さんを

13年ぶりに舞台に出演させる事に成功した経緯があった。

 

 

◆私は当日ワンピースとたぶん赤いリップを付けて向かった。

フワフワしながら下北沢に着いて

開演直前に会場の本多劇場に入り、

あまり実感もないまますぐに開演し

スポットライトが1人の女優さんを照らした時、「魔子様だ」と思った。

 

息をのんだ。

 

もう70近い年齢のはずの魔子さんは今もやっぱりあの華奢なままで

衣装から伸びるキュッとした長い手足で、

顔も小さく大きな瞳は、どこの誰にも感じた事のないような

魅力的な忘れられない人の形をしてた。

なんか、ハァァとして動きを目で追うばかりだった。

少ししゃがれていたけど、今もハッとする女性の発声をする魔子様の声だった。

 

劇の内容は東北震災に影響を受けた内容で。

現代・過去の時間軸やイタリア古代都市のポンペイや東北が行き来するよく出来た話で、歌も笑いもアングラ演出の要素もある見応えある劇だった。

 

とかガッツリ劇の感想を言いたいのに、

演技や劇の感想を思い浮かべられない程には静かに舞い上がっていて

魔子様にただただ口を半開きにして圧倒されていた私には

1回じゃ観きれなかった。

 

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渡辺えりさんの隣。右から2番目が魔子様 

-

 

という夢のような私の夢の時間は劇の物語の長さと共に終わって。

もしお会い出来たらとか考えたけど、お会いする事はなく

胸をいっぱいにするばかりだったので、急にお腹がすいて

豚骨ラーメンを食べて帰った。

 

ふぅ。

  

あと、まったく関係ないけど、

歌手の小島麻由美の「ま」がもしも「魔」だったなら

それこそ私は卒倒するだろうと思いながら、

 

色気とは無縁の私は今日もミューズ達を女の鏡として

胸に空想では脱ぎっぷりよく過ごします。

 

 

終わります。

 

 

( 女の子の絵は瞳 ) 2013.07.19

 

 

◆"スルッとKANSAI"とかカード定期のノリ(癖)で

いまだに毎回PASMOを改札の切符投入口に意気揚々と突っ込んでは、

ついにはじき出されずに中で詰まって、PASMOを壊すの巻。

 

◆ヒカリエでやっていた「内藤ルネ展」へ行った。

大学時代、講義中に自伝を夢中で読み進めてた事を思い出す。

 

中原淳一の女性は私にはエレガント過ぎ、

宇野亞喜良の女の子は私には遥か遠過ぎ、

林静一の女は私にはエッチ過ぎ、

 

でもルネの女の子はいつも私に笑ってくれてて。

この絵の女の子になりたい!と思う気持ちをいつも、

ルネ自身の黒目と共に。

 

物販のルネ雑貨。

可愛い文房具を買うことがいかにステータスだったかの

小学校時代の気持ちで一生懸命選んで買った。

大人買いせず、選ぶことに意味がある。

 

うれしい。

 

帰りに、キノコホテルが店内に流れていると云う理由だけで

そこの服を買ってしまうくらい。

 

浮かれる、

 

この都市で私はどんな女になって、どんな瞳で生きていくのだろ。

 

 

潜りみたいな東京での生活

渋谷という街のなか。

 

 

( 人と付き合いたい ) 2013.05.19

 

◆付き添いでお洒落街を歩く事になり

高圧的洒落っ気に圧倒ぎみに、お腹が痛くなる。

水原希子に会った!

っていう通りで、もちろん水原希子に会う事はなかったけれど。

 

◆行ってみたかった本屋さんに行けた。

雑居ビルの一部屋を改装して入っていて、佇まいに神戸の栄町を思い出した。

檜のような木材の良い香りを鼻で吸いながら本をペラペラめくる。

 

キルフェボンのホールタルトは1万円以上すると知った。

世の中は回っているなぁと私は思った。

 

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◆21_21 design sightの「デザインあ展」に行った。

楽しかった。

子供達が沢山来場していて楽しそうで、

大人も子供の顔をしていて、良かった。

 

手癖と決まったサンプリングでパターン化してしまった(確立っていうのかも)

最近のコーネリアスの音楽に実はあんまりワクワクしていなかったのだけど、

5.1chの四角く白い部屋の中で、

四方八方からコーネリアスの音と映像、光と色が流れるコーナーがあって。

子供みたいに必死に細かい動きを目と耳で追いまくった。

かっこよすぎて鳥肌が立った。

 

今まで、聴き取れる所まで音の数を聴き取ってなかった私の痛恨のミス!

って思い直した。

小山田さんの声と出した音に取り囲まれるっていう

ファンには涙物の1コーナーに感謝!

salyu嶺川貴子とショコラも歌ってた。)

 

良い展示だったなってホクホクで帰る。

 

 

-

色んな人が連絡くれるけど、

いまだ返信できる気持ちを持ち直してなくて

誰とも連絡取る気持ちにまだなれなくて。

元気にしています。

 

 

あと、今朝やっとはじめて、

小山田さんとミネコが離婚していたことを知った。

彼女は女コーネリアスだと信じていたので、驚いた。

やっぱり結婚(他人な上に男と女)の関係って不思議だなと、つくづくまた思う。

 

夫婦と、漫才コンビと、バンドの関係って

これらはほとんどぜんぶ奇跡ではと。