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私の天秤の上、全部いっしょくた

「こたにな々 日記帳」 文から何も気付かなくていい、それだけが私の願い。

「書を捨てよ、町に出よう」 2008.07.16.00:12

タイムマシーン(2008年へ) 【日記】

 

◆7/15
もうひとつの、「生活」とはまったく今じゃ切り離された
「社会科見学」のような学校生活。
ビジュアル学科棟に足を踏み入れたのが今日。

「生活」の授業は小学校3年生くらいで「社会」に変わって、
それから何年も経てば、「経済」や「地理」や「歴史」やなんやらに
細分化され、され、され
わたしはあのまま「生活」の授業で止まってくれさえすれば
昆虫採集やお花摘みだけで一生すごせたのにぃ!
なんてかんがえながら、教授という「大人」が待つ部屋を
ワンノック・ツーノック。

だけど、小沢健二みたいなドリーミーな世界とは無縁、
話せば分かる、とおもっても、
わたしには話せないことが、今も、現在も山ほどあった事を
さとって、静かに閉める。
「失礼します。」


◆でも、それでもなぜか「大人」でも「子ども」でもない
「私達」の中のひとり、ふたり。
なんだかやさしくしてくれて、こないだ展示をした所の事務の人も、
やっぱりなんだかやさしくしてくれて、
そうだ、あげよう!とおもって、お菓子を大喜びでさくさく
たくさん買いに行ったら、はっぴーな友達に偶然会って。
彼女が小沢健二を聴いてるときに、わたしもおなじく小沢健二
を聴いていました。とは。ね。


やさしさのみずうみにひたった後、
そうだ、やっぱり旅に出なければ。と一、二行さとって。


◆柄にもキャラにもセオリーにもないような、
ひとりで生きてないことが急に、わかって、
そうだ「あのねー、わたし、ひとりでいきてなかったあー!」
ってあのひとに報告したら、きっとまた
不思議な顔をされるとおもうと、

たのしい!


やっぱり、書を捨てて町に出なければ。と思ってたら、
それよりも、もうだれかがいいこと書いてたから。
それで、音楽をきけば、もうだれかが
「僕は世界中の窓という窓を、ドアというドアをたたいてくよ」
って言ってたから、
そう、寺山修司にも小沢健二にも出来なかった生き方は
もうはじまっていて、



そう、私はいつものひとつ手前の駅でおりた。



いえなかったこと。

http://poetorium.hatenadiary.jp/entry/2008/07/16/001100