私の天秤の上、全部いっしょくた

「こたにな々 日記帳」 文から何も気付かなくていい、それだけが私の願い。

「泳げない魚の現実」 2011.11.27

 

 ◆11/24

神戸ビエンナーレ、元町高架下のだけ見に行った。

三浦真琴さんという方の「スブ ヨア メオレ」とい作品がすごく良かった。

点描みたいなうねった線がガラスに細かく刻みこまれていて、

なにか圧倒的で目が離せず、近づいてよく見てみたら、それは全部文字だった。

ひとがお話してくれた対話を一言も取りこぼさず刻んでいるそうで、

小さい文字の量もだけど、人の思いが凄かった。

点みたいな文字の言葉の集合体が凄かった。

遠目に見た時読めずとも、圧倒的だった。

あ!やっぱり言葉だ!文字なんだ!と力を思った。

東京の方だそうだけど、またどこかで作品を拝見したいです。

 

kobe-biennale.jp

 

 

◆11/27

瀧口とデュシャン。そんなキーワードがわりと、私を生かします。

明日、あさってと、言わず。 

ロマンチックと交信と片思いと、わりと皆一通行で

だからわりと、なりたってる。

きみの翻訳をするよ。じぶんの解析をします。

臨床心理士よりももっと良い方法で。

 

やっぱり、人の頭がまわってる所を私は静かに見るのが好きです。

表現中の回転・作業中もだけど、話してる時の回転はいいな。

最近人のヘッド(頭)がシースルーにみえる。彼女の回転は好きだ。

 
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◆大阪・第七藝術劇場吉増剛造氏の映像作品を観に行った。
吉増さんが色んな所を歩きながら撮ってる。
風景がぐるぐる1秒前の色や形が次の画に残った残像になって、
それが延々と揺れながら、吉増さんの歩きながらの声を穏やかに入れている。
それすらも詩のようで。
その後ろでずっとジョン・ケージのギーコギーコした音が鳴ってる。
鳴っている。私は―、
無理だった。三半規管が以上に弱いので1作品10分弱くらいだけど
すぐさま酔ってしまって、頭を起こして観ている事が出来ずに、
吐き気を我慢しながら息も上がってしまって、
目をつぶったり、肘かけに頭を倒して、
前の座席の席と席の間から、揺れる画を見てた。
でも席を立って扉から出ようとは思えなくて。
「もうやめてください」って精神に願いながら、いつのまにか眠った。
時々、目を開けると、また違う揺れる画と、吉増さんの声と、
まだジョン・ケージが鳴っていた。
 
体は重く重くシートに、意識は遠く遠く古く沈んで行った。
 
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暗闇の多目的室で皆で寝転び、
天井に写る、ぼやっとした青い水光を見上げながら
宮沢賢治の「やまなし」を静かに朗読テープが音を出して読む声を聞いている。
泳げない魚の夢のような。
 
 
私はまたそれに体感で、ぶつかったような感じだった。
 
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気付けば照明は上がり上映は終わっていた。
まだ三半規管がやられていてしばらく動けずに
ぼうっとしながら第七藝術劇場をゆっくりと最後に出た。
エレベーターで下り、パッと開いた鈍い光で商店街の地上の日常に出る。
 
倦怠感に襲われている時は肉体以外に何かが起こった時
頭が回転し過ぎた時は精神に来た時
 
原稿用紙に水がこぼれて、字が滲んでいく感覚を思い出した。
 
 
 
またここからはじめるのかな。